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2005.08

株式会社ファーストロジック創業まで

創業当時のオフィス風景。自宅兼オフィスだったからか少々雑多としている

創業当時のオフィス風景。自宅兼オフィスだったため雑多としている

坂口は大学卒業後の1999年、新卒で約20名規模のシステム開発会社にシステムエンジニア(SE)として入社した。連日の長時間残業という過酷な環境下でも、一人前のエンジニアになるべく業務に没頭していた。

しかしある日、先輩から「SE35歳定年説」を耳にする。技術の移り変わりが激しいIT業界では、35歳を境に知識面でも体力面でも仕事についていけなくなり、職を失う。当時まことしやかに囁かれていた説である。この言葉に触れた坂口は「35歳で職を失いホームレスになる可能性もあるのか」と、将来への不安を抱くようになった。

さらに、23歳の若さで肺がんの可能性を示唆されるという衝撃的な出来事が起こる。4年制大学を卒業し、就職氷河期を乗り越えてようやく掴んだエンジニアとしての道を歩み始めた、そんな矢先の診断だった。

それ以降、残りの人生をどう生きるか真剣に考えるようになり、「どうせ死ぬなら社会の役に立ってから死にたい」という思いに至る。このとき彼には解決すべき課題があった。

「SE35歳定年説」を聞いた坂口は、いつリストラされても困らないよう安定収入を得たいと考え、不動産投資に目を向ける。大学時代、毎月5万円の家賃を大家へ振り込んでいた経験から、「家賃を受け取る側になれば収入は途絶えない」と考えたのだ。

ところが投資用物件を求めて都内の不動産会社を回っても、まったく相手にされない。当時、不動産投資は地主など富裕層が主な顧客であり、年収300万円程度のサラリーマンである坂口は門前払いを受けた。

そうした背景もあり、インターネット上には投資用不動産に関する情報がほとんど存在しなかった。不動産の価格相場がわからず、購入判断すらできない。「この情報の乏しさでは失敗する投資家も多いはずだ」。閉鎖的な不動産業界に課題を感じた坂口は、「自分と同じく将来に不安を抱く人々が、安心して不動産投資できるようにしたい」と思い、これを人生の使命と定めて起業を決意する。

当時は「ドットコムバブル」と呼ばれ、楽天グループやサイバーエージェントなどインターネット関連企業が次々に誕生していた時代である。「アナログで閉鎖的な不動産投資業界をインターネットで変えればビジネスチャンスになるのでは?」と坂口は考えた。

一方で、銀行員の父親からは「融資先の経営者の中には、事業が行き詰まり自殺に追い込まれた人もいる」と聞かされ、起業という険しい道を選ぶべきか悩む。そんな折、目にしたのがAmazonの創業者であるジェフ・ベゾスの言葉だった。

「死の床で人生を振り返ったとき、後悔することが最も少なくなるように生きようと決めた」

この言葉に背中を押され、「起業することを諦めたら後悔する」と確信した坂口は準備を本格化。そして6年後の2005年8月、株式会社ファーストロジックを設立する。社員は坂口一人。自宅アパートの一室からの船出であった。

後日談だが、精密検査の結果、肺がんではなく結核であることが判明した。名医との出会いに恵まれ、約1年の通院を経て完治している。