坂口は大学を卒業し、1999年に新卒でシステムエンジニア(SE)として20人規模の小さなシステム開発会社に入社。残業が多く過酷な日々だったが、優秀なエンジニアになるために業務に没頭した。
しかしある日、先輩から「SE35歳定年説」を聞く。IT業界は技術の移り変わりが激しく、35歳になると知識的にも体力的にもついていけなくなり定年を迎えるという説が当時まことしやかに囁かれていた。これを聞いた坂口は「35歳で職を失い、ホームレスになる可能性もあるのか」と将来に不安を抱くようになる。
そんなとき、坂口にもう一つ衝撃的な出来事が起きる。23歳という若さで、肺がんの可能性があると診断されてしまったのだ。4年制大学を出て、就職氷河期の中やっとの思いで就職をして、エンジニアになって会社に貢献しようと意気込んでいた、そんな矢先のことだった。
それからは、どうやって残りの人生を生きていこうか考えるようになった。そして辿り着いたのは「どうせ死ぬのなら、社会の役に立ってから死にたい」という思いだった。このとき坂口には、解決したい課題があったのだ。
坂口は「SE35歳定年説」を聞いた後、いつリストラされてもいいように安定した収入を手に入れたいと考え、不動産投資をしようと動いていた。不動産投資とは、不動産を貸して家賃収入を得たり、購入金額以上で売却して売却益を得たりする、不動産を対象とした投資である。大学時代に1人暮らしをしていたころ、毎月大家に家賃5万円を振り込んでいたことを思い出し、家賃をもらう立場の大家になれれば収入が途絶えることはないと考えたのだ。
しかし、投資する物件を買うために東京中の不動産会社を回っても、まったく相手にされない。それもそのはず、当時不動産投資をするのは地主などの富裕層がメインで、坂口のような年収300万円程度の若いサラリーマンは不動産会社に相手にされなかった。
そのような状況だからか、インターネットに投資用の不動産情報は見当たらない。情報が少ないため、投資用不動産の価格の相場も分からず、購入していいかの判断もつかなかった。「こんなに情報がないと不動産投資で失敗する人も多いだろう」。閉鎖的な不動産業界に課題を感じた坂口は「自分のように将来に不安を抱く人が、安心して不動産投資できるようにしたい」と思うようになる。そして「これを残りの人生の使命にしよう」と思い、起業を決意した。
当時は「ドットコムバブル」と呼ばれる、インターネット関連企業がどんどんと立ち上がっていた時期。楽天グループ、サイバーエージェントなどの企業が生まれたのもこの時だった。 坂口も「アナログで閉鎖的な不動産投資業界をインターネットで変えればビジネスチャンスになるのでは?」と思った。
しかし、この波に乗りたいと思う一方、銀行員である父親からは「融資先の経営者には、経営がうまくいかずに自殺に追い込まれている人が何人もいる」ということも聞いていた。「安定した収入を求めて不動産投資を始めようとしたのに、起業という険しい道を選んでいいものか」と悩んでいるときに、ある言葉に出会う。
「死の床で人生を振り返ったとき、後悔することが最も少なくなるように生きようと決めた」
世界的企業、Amazonの創業者であるジェフ・ベゾスの言葉だ。坂口は「起業することを諦めたら後悔する」と思い、起業するための準備を本格化する。そして、それから6年後の2005年8月に「株式会社ファーストロジック」を設立。当時の社員は坂口ひとり、自宅アパートの一室からのスタートだった。
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後日談だが、精密検査を行ったところ、「肺がん」ではなく「結核」であったことが分かった。その後、名医に出会えたこともあり、約1年間の通院生活を経て、今は無事に完治している。